読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ぽんぽこ日記

プログラミング、読書、日々の生活

【近況報告】退職のお知らせ

Facebookでつながっている近しい人たちには共有していたのですが、本年の5月末日をもってKLab株式会社を退職していました。

KLab株式会社の本社が入居している六本木ヒルズ森タワー

今年の4月に会社の名前を冠して本を出させてもらったり、KLabの社員で退職エントリーを書いたひとを見かけないのでどうしようか悩んだ*1んですが、退職から実質6ヶ月も経ち、一生に何回もあることでもないし、一つの区切りと思い退職エントリーを書いてみようと思い立ちました。

入社の経緯など

以前勤めていた会社はエンジニアが大半の20名そこそこの小さな会社で、自社でプロダクトを持っていたこともあり、おつきあいする会社も特定の業界に限られていました。扱う技術もかなり特殊な用途に限られていて、しかもプロプラエタリなプロダクト関連だったりしたので、このまま働き続けることに、エンジニアとしてのスキルセットの面で不安を感じていました。また、詳しいことは書きませんが、技術以外の部分の職場の雰囲気や体制の面でも強い閉塞感を感じていたのも転職を決意した理由としては大きかったです。

そういう当時の心境を反映して、転職にあたっては、企画者やデザイナーといった、エンジニアとは別のスキルをもっていたり、違う価値観を持った人たちと一緒に仕事が出来るところを探そうと思っていました。

転職エージェントからKLab*2の求人情報を提示されたとき「まずはここを受けてみよう」と直感のようなものが働いたのを覚えています。

会社のWebサイトを見て思ったのは、経営陣のプロフィールが多彩なことでした。 たいていITベンチャー系会社は社長と同じ前職の会社の同僚・先輩・後輩などが経営陣に名を連ねていたりするものですが、当時のKLabの役員はそれぞれかなり異なる経歴の持ち主で、いろんなことに関われそうだなと思いました。

一方で、多種多様な経歴・価値観を持つ人たちが役員を構成していることはデメリットもあったんだということは後から感じました。

数年後、ソーシャルゲームがヒットして成長軌道に乗り始めたある年の創立記念パーティで、真田社長に「会社の一体感が高まって来て、良い雰囲気になってきましたね」と言った旨のことを話しかけたら、

「役員が入れ替わって、経営層が同じ方向を向くようになったことが大きいかなぁ」

としみじみ話されていたのが印象に残っています。こうしたことで意思決定がスピードアップして、特定の領域に集中的にリソースを投入出来るようになったことは、ブラウザベースのソーシャルゲームでは先んじてヒットを出せた一因だったのかも知れません。

話はそれましたが、今にして思えば、入社の時点ですでに36歳だった私を採用してくれたことは、会社としては勇気のいることだった*3だろうと思いますが、おかげで最初に選んだ会社に無事入社することが出来ました。

どんな会社か

2004年の秋に入社して以来、約10年お世話になったわけですが、正直ここまで長く居られるとは最初は思ってませんでした。

筆者は一時期までマネージャとして採用面接に関わることが多かったのですが、そこで応募者の方から、KLabというのはどんな会社か?ということを聞かれることがしばしばありました。そんなとき、決まって私は「ひとことで言うと、退屈しない会社ですよ」と答えるようにしていました。

じっくり腰を据えて一つのことに取り組むと言うよりは、新しいモノにどんどん飛びつきたい人にとっては向いている会社だったと思います*4

良いことばかりではないのですが、ともかく変化が激しい日々でした。

ベンチャーでの仕事ライフは「ジェットコースターに乗るような」と表現されることがありますが、振り返ってみると、特に最初の4,5年はまさにそんな印象でした。

上述したように、役員が続けて会社を去られた時期には、私にも複数の責任が課せられて、慣れないマネージャー業に二年ほど四苦八苦しました。これも今となっては良い思い出ですが、当時の部下には満足のいくフォローが出来なかったと、申し訳なく思っています。

その後、会社が成長するにつれ、いろんなことが落ち着いてきて、各自が自分の役割に集中できる体制が徐々に出来てきて、今では昔と見違えるようになりました。総務・人事・法務・経営企画といった会社の足腰となる部署に、経験豊かで優秀な人が集まってこられたことが大きく影響しているんじゃないかと思います。

どんな人がいたか

エンジニア、企画など職種を問わず「なにを食べて育ったらこんなに頭が良くなるんだろう?」と思うくらい優秀な人ぞろいで、入社して最初に出席した技術者ミーティングでの議論のレベルの高さ、スピード感を目にして、「ここでやっていけるんだろうか?」とものすごいアウェイ感を感じたのを覚えています。

その後、優秀な人の多くが、独立し、各方面で活躍されていることはご存じの方も多いと思います。

いまでも新卒で入社するエンジニアにはいわゆる「変態」のレベルがとても多くて、一年目からいきなり一騎当千の活躍をする人もいるので、本当に恐ろしい世の中になったものだと思います。

会社の変遷*

KLabでのこの10年を振り返ると、大きく分けて受託・レベニューシェアベースでのサイト運営と自社プロダクト・サービスが中心だった前半と、ソーシャルゲームのヒットで成長軌道にのり、株式上場まで果たした後半に分かれると思います。

その間に、主力となるプログラミング言語もJavaからPHPにシフトしました。Javaのころは、開発プロセスがどうとか、ナントカ駆動開発がどうとか、どっちかというと、言い方は悪いですが、すこし頭でっかちのエンジニアが多かった印象です。

その後PHPに切り替えることで、徐々にPHPer(あとJSer)が増えてからは、まずは作って見よう、(語源由来の本来の良い意味での)拙速を好むような文化が大勢をしめるようになりました*5

両者、一概に良い悪いとはいえないのですが、ここ最近のKLabのビジネスモデルには後者が合っていたように思います。余談ですが、想像するに、Rubyを中心に据える会社は前者と後者の中間くらいの価値基準が醸成されるのかな、とか思います。

いずれにせよ痛感したのは、どのプログラミング言語を採用するかは会社のエンジニア文化を大きく左右するということです。

どんなことをしたか

ここでは書ききれないほどさまざまな業務を任せてもらいました。前任者が急遽退職したため東京、大阪、福岡にまたがる開発グループのマネージャーをまかされて日本中を文字どおり東奔西走しつつ、非常にクリティカルな金融関係の案件を担当した時期もありました。

業務のことは書けないことも多いので、公になっている活動をいくつか紹介します。

まず、「日経コンピュータ」誌で連載記事を担当させてもらいました。主著者を真田社長として、ケータイ評論家として有名な木暮祐一氏らとともに各週・4ヶ月間の連載を書きました。おそらく8割くらいは私が書いたと思います。

連載中は、記事の打ち合わせのため、何度も真田社長の話、ITビジネスに対する考え方を直接伺える機会に恵まれ、伝説の起業家の謦咳に触れることができたことは幸運でした。今後の仕事の糧にしたいと思います。

真田社長との思い出はもう一つ。日本で最初にiPhoneが発売されたとき、早速何かiPhoneでビジネスになりそうなことをやってみようと言うことで、コミックビューアを作ることになり、社内でこのプロジェクトに参加したいエンジニアが募集されました。

当時、非常に話題となったデバイスであったため、Objective-Cというちょっとマイナーな言語にもかかわらず手を上げるエンジニアも結構いると思い、競合になることが予想されました。これは実際に動くものを作ってみせるのが一番アピールになるなと思い、休日返上で無理矢理アプリをつくって、操作画面をムービーにして社内のメーリングリストで共有しました。

大阪の事業所で勤務していた私は、東京の本社に出張で出向くと、廊下ですれ違う人みんなから「社長がめっちゃよろこんでるよ!」といわれて驚きました。ベンチャー精神を体現する行動としてとても喜んで頂けたようです。見事採用となったばかりか、社内の表彰で「社長賞」というものまで頂いてしまいました。

動くものを誰よりも早く作ることが重要だとつくづく実感した出来事でした。

最後の3年間は実験色の濃いスマートフォン向けの新規事業を手伝いつつ、メインはデータ分析基盤の構築・運用を担当しました。この仕事は地味ながら意外とノウハウが必要で、こうした経験を本にまとめることが出来ました。

データ分析が支えるスマホゲーム開発 ?ユーザー動向から見えてくるアプリケーションの姿?

データ分析が支えるスマホゲーム開発 ?ユーザー動向から見えてくるアプリケーションの姿?

今後のお仕事について

現在筆者はフリーランスのエンジニアとして活動しています。 直近で担当させて頂いた仕事としては、KLabの同僚で、元楽天トラベルの森田昌宏氏が起業された「gamba!」というサービスのiPadアプリの開発に携わらせて頂いています。

その他、iOS関連の開発にいくつか関わらせていただいてます。

現在日本では、IT系のスタートアップが次々と誕生しています。そしてそうしたサービスを提供するデバイスはもはやPCではなくスマートフォン・タブレットが主役となっています。

KLab時代、新しいITビジネスに技術面で関わって来た経験と、iOS開発の技術を生かして、そうしたスタートアップを技術的にお手伝いできたらと考えています。

というわけでお仕事絶賛募集中ですので、ご興味のある方いらしたら、お気軽にお問い合わせください。

謝辞

最後になりましたが、この業界で同じ会社に10年も居ると、すでに会社を去った人も多く、実名を出すことは控えますが、本当にたくさんの人と出会えて、たくさんの人にお世話になりました。ここで人生の半分くらいを過ごしたんじゃ無いかと錯覚するくらい濃密な10年でした。みなさん本当にお世話になりました。ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。

P.S. お約束らしいので、ウィッシュリストのリンク貼っておきます:-)

*1:余談ですが、はてなの人は退職エントリ書くことが多い印象です。すべての会社で契約面の縛りがある訳でもないと思うのですが、会社によって多い少ないあるのはなんででしょうね

*2:当時はまだ「ケイ・ラボラトリー」という名前でした

*3:入社後、自分も中途採用に関わるようになると、応募者の履歴書をみるとき、どうしても最初に年齢の項目を確認してしまうようになりました

*4:もちろん、例外もあって、インフラ系のエンジニアは日夜安定した運用を目指すというテーマのもと、地道に技術の改良や開発をつづけています

*5:もちろんPHPerがソフトウェアエンジニアリングを軽視しているというわけではないです。誤解無きよう。

【スポンサーリンク】