ぽんぽこ日記

プログラミング、読書、日々の生活

かけだしエンジニアの頃 〜 Iさんの話

はじめに

私にはエンジニアとして大きな影響を受けた人がいます。今日はその人、Iさんの話をします。

出会い

新人研修がおわって、私は当時世間で話題となっていた、人工知能・エキスパートシステム関連の案件を扱う部署に配属されました。

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もともと毛色の変わった言語や珍しい機種のコンピュータに触れたいと志望していたので、希望を叶えてもらった形の配属でした。

そこで出会ったのがIさんでした。Iさんは契約社員という形で会社と直接契約し、机をもらって常駐しているエンジニアでした。 僕はIさんの隣の席に座ることになりました。

出会った当時、IさんはPC-9801で動く自社プロダクトの開発を担当していました。Iさんは社交的な性格で、時折若いエンジニアがIさんの机にやってきて、DOSに関する技術的な質問やら、世間話をしていきました。

私が本を読むのが好きだということを知り、同じ文系出身ということもあってか、Iさんと私はたちまち親しくなっていきました。

教わったこと


Iさんには何度か飲みに連れて行ってもらい、幅広いジャンルの読書家であることを知りました。 もともと東京の有名私大を卒業して、一流メーカーに入社したものの、早くに退職され、その後公認会計士を目指すべく、勉強をかねて入ったアルバイト先の会計事務所でLotus1-2-3に出会って、プログラミングの魅力に目覚めたそうです。

Iさんにはいろんなことを教わりましたが、なかでも「コンピュータサイエンスの知識を身につけること。そして原典にあたること」ということを教わったのは、基本的なことといってしまえばそうなのですが、当時の自分にとってはとても大きなことでした。

当時、その会社は技術力のある会社としてそこそこ名の知れた存在で、大企業からの委託研究案件なども受注するほどでした。しかし世の常として、残念なコードを書くエンジニアもいることはいました。生意気なようですが新卒の目から見てもきれいとは言いがたいソースを目にすることもありました。

そんな中、インターネットはまだ全く普及しておらず、C++もObjective-Cもトランスレータしか存在しない時代、C言語で気の利いたライブラリが簡単に使える状況ではありませんでした。そんな時代にIさんはリスト構造やツリーといった基本的なコレクションクラス、ポインタやマクロの使い方を工夫してジェネリクス的にアルゴリムを再利用できるようなライブラリも自作して、洗練されたコードを書いていました。大学時代に独学でプログラミングを習得した僕にとっては系統的にコンピュータサイエンスを学ぶことの大切さに気づかせてくれました。

「C言語をやるんならK&R、アルゴリズムを勉強したいなら(当時だと)N.Wirthの「アルゴリズム」とか、大著で高価な本でも『原典』的な本を、身銭を切って買って、ちゃんと読んだ方がいいよ」というアドバイスしてくれました。

いろんな言語に関心がある方で、私が入社後初めて担当する案件がCommon Lispのプロジェクトだと聞くと、京都大学・湯浅太一先生の「Common Lisp入門」を薦めてくれました。

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Iさんとは技術的な話にとどまらず、いろいろな話をしました。ちょっと複雑な家庭環境で育ったようなことを聞いた記憶があります。飲みに行くと限度を知らず飲むし、酒にまつわるかなり致命的な失敗をした話をされたことがあって、どこかしら破滅的なところがある人でもありました。

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そんなIさんとは2年目に、二人で同じプロジェクトを担当することになりました。SunOSのOPENLOOK環境で動く、XViewというツールキットを使ったGUIアプリでした。いろいろ苦労もありましたがなんとか納品しました。

当時その会社には、半期に一度だと思うのですが、「業務報告会」というイベントがあって、行った業務の内容やそこで得た技術、苦労したことなどを共有していました。 僕もIさんと担当したプロジェクトについて話すことになりました。契約社員であるIさんはその会に参加することは出来なかったので、正社員である僕が発表することになりました。


その案件はIさんが技術もマネジメントも何から何まで主導ですすめたプロジェクトで、Iさんを差し置いて自分が発表するのには違和感を感じていましが、会社のルールなので仕方がありません。なので、発表の内容にはこの案件がIさん抜きには成り立たなかったこと、技術的に教わったことなどを強調して発表しました。

そのあと発表の内容はIさんの知ることとなり、僕の目の前で目を真っ赤にして感極まって泣いて喜んでくれました。

「自分が選んだこととはいえ、正社員からはいつも外注扱いで、ちょっと肩身の狭いところもあって、こんな風に表舞台で紹介してくれたのは君が初めてやわ。ありがとう」

当時Iさんはまだ26歳。優秀なIさんは、聞けばもともとこの会社にアルバイトとして働いていた頃、勉強熱心なところを買われ、正社員にならないかと誘われていたのを断って、独立を維持する道をえらんだそうです。Iさんは今の自分から見たらまだまだ若いエンジニアです。孤立無援のアウトサイダーとして、組織に対して精一杯突っ張っていたのだろうと思います。

その後

その後、私は新卒で入社したその会社を2年足らずで辞めてしまい、Iさんも同じ時期に専属契約を終了させて、事務所を構えてフリーで活動するようになりました。Iさんとは行き違いで同じ会社に入ったりしたので、共通の知り合いも多かったのですが、近いけど遠い存在として、直接会うことなく月日が過ぎました。

訃報

月日は流れ、今から11年前、ちょうどKLab(当時はケイ・ラボラトリー)に入って1ヶ月したころ、Iさんと共通の知り合いから電話で、Iさんが急逝されたことを知りました。存命であればIさんももう50代。もう一度お目にかかって思い出話に花を咲かせたかったですが、果たせないものとなってしまいました。

写真はIさんにその昔貸してもらったらフレデリック・フォーサイスの短編集。返すタイミングを逸したまま私の本棚の隅に置いています。「フォーサイスは大作を書く作家ってイメージだけど短編の名手でもあるんだよ」という言葉を覚えています。

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